みんぐる会員様の寄稿

みんぐるに入会申請された方の寄稿の一部をご紹介します。

ご自身の興味や生活、経験などを「共有」することで、自身について理解してもらいやすくなり、互いに関心を持ち、話が弾むきっかけになります。

※寄稿に併載している老若男女のアイコンは適当であり、寄稿者の性別、年齢、容姿と異なります。

目次

仕事

結婚もしましたが、妻がパート先の店長と出来てしまい離婚。絶対後悔させてやると一念発起で会社を起業。

しかし、会社設立から15年ほど経ち、まだまだこれからという時に災害がありました。納品先の倒産により売掛金の回収が不能になり、僕の会社も倒産しました。

在日韓国人です。日本と韓国で行う事業で起業しましたが、集客に苦労し、断念しました。

せっかくオシャレでかっこいいWebページを作って、事業の楽しさ、質の良さをアピールしても、お客様から申し込みが無ければ意味がありません。

起業失敗の原因はニーズが無かったからかもしれないと考えています。自分のビジネスアイディアは画期的だと考えていましたが、過去に似たようなことを誰かがやっていて、人知れず失敗していた可能性もありそうです。

イメージはWebで伝えることができましたが、十分に魅力的ではなかったかもしれません。

→ターゲットの嬉しいことか?参加するメリットは十分か?
→言いたいことが多すぎないか?
→差別性・優位性・説得性が表現されているか?

今も関連で、フリーランスライターをしており、Amazon電子書籍Kindleにて三作著作があります。
起業に再チャレンジしようと、アイディアを模索中です。

小学校3年から「キャプテン翼」に影響され、サッカーを始めました。中学・高校はサッカー部、大学中退時まで体育会サッカー部に所属。

現在、個人事業主として働く傍ら、フットサルとサッカー審判の副業を始めています。共に、3級まで取得しています。

大阪府在住です。とあるIT派遣会社で働いています。

仕事現場は神戸にあって、長距離通勤で、毎日電車に3時間ぐらい乗ります。
そんなにしんどい仕事ではないですが、転職したいと思っています。

先日、社長と相談しましたが、いい結果は得られませんでした。

以前は建築系の仕事をやっていて、去年の九月に転職して、初めてIT系の仕事をやり始めました。

実は、特に好きな職業などありません。
ただ、努力したくて、努力にふさわしい報酬がある仕事をやりたいです。
仕事のことで迷っています。

私の法人の支援対象には、精神障がいや発達障がい、知的障がいを持つ方が多いですが、「働きたい人」と思う人すべてを対象としています。

「障がいがあるから働けない」と思わされているかもしれないですが、本当は「働きたい」「人の役に立ちたい」「自立したい」と思っている人は、苦労はありますが、それをするべきと思います。

障がいがあってもなくても一人一人が自分のやりたいことを目指し、仕事を通して人生を謳歌することを応援していきたいと思っています。

「老い」を考える講座を担当しています。

記憶力の低下や体力の衰えなど、自身の老いを実感する日々ですが、老いは肉体的にも精神的にも個人差が大きく、その違いは何によるのだろうと、講座で出会う方々と交流しながら大いに好奇心を刺激されています。

先日、とても素晴らしい海外商品を見つけました。
日本で販売するディーラーとしてメーカーに認めてもらうことができたので、輸入準備をしています。

日本の輸入には規制が多く、手探りで、進捗はゆっくりですが、いつかこの商品を日本の方に手にしてもらえるのでは、と夢見て頑張っています。

大学卒業後からずっと続けている活動を含め、4つの事業に、リモートを含めて携わっています。

仕事は、現在は現場に立つというよりは、スタッフのサポートを主にしています。

本当は現場で仕事がしたいと思っています…管理業務が多くて少し諦め気味です(泣)

市民活動で、フェミニズム、図書館づくり運動、脱原発運動などに長く関わってきました。

とりわけ、今は核ゴミの最終処分場が北海道に建設されようとしている危機的な状況にあって、なんとか止めたいと署名や街宣活動に取り組んでいます。

思えば、政府のやり方は米軍基地は沖縄に、核ゴミは北海道に、厄介なものや邪魔なものは辺境に押し付けて見えにくくすればいいと言わんばかりです。

でも、それは子どもたち未来の世代にツケを押し付けること、今生きている大人が長期的な視座を持ってきちんと考えなくてはならない問題です。

私は事業になりそうなネタを見つけて準備し、スタートさせるのが好きです。

「こんなサービスがあったらいいのでは」と思いついたら、いてもたってもいられません。

うまくいかないことが多いですが、準備から全てが、学びで楽しいです。

障がい者が企業などで普通に働く応援をしています。

一人一人が自分の希望する仕事に向けて、企業などで普通に就職すること、そして仕事を通して充実した人生をおくることに向けてお手伝いです。

実現が難しいことも多くありますが、その挑戦をする自由は、障がいがあってもなくても、みな同じように持っているはずであり、その成功も失敗もその人の人生を彩る経験であると思っています。

私のかかわる市民団体では、「わたしが変わる、社会が変わる、世界が変わる」をスローガンに、身近な問題や社会のありように関わる問題まで、ともに語り合い学び合ってきました。

一人では考える手がかりをつかみにくい問題も、多様な人の考え方に触れ多様な視点から意見を交わし合う中で見えてくるものが確かにあります。

そうした暮らしに根ざした学びの場をとても大切に思っています。

もっと条件の良いところをと、働きながらリクルート活動中でもあります。

元は自営業です。妻と結婚したかったので、生計をたてて両親を安心させるためにやむなく始めたものでした。

連れ合いの転勤で一度千葉県に引っ越しました。
千葉に住んでいるときは東京で働いていましたので、通勤ラッシュや通勤時間の長さも経験し、今となっては”昔、東京で働いたことがあってね”と言えるのは嬉しくもあります。

暮らし

母の介護が終わったと同時に、私は一人ぼっちとなりました。

殆どの時間、朝から晩まで働いていたせいか、これといった友達ができる訳もありません。
数少ない友人は自身の問題に耐えきれず、コロナ以降に病気となってしまいました。

そして、私はまた独りぼっちです。

仕事漬けの日々の中での唯一の楽しみがテレビでした。
でも、介護で仕事を辞め、介護が終わった時に見たテレビは味気ないものがありました。

誰かとやりとりするうちに、自分が本当に欲しいものが見つかればと思います。
現在の生活はほぼ仕事か、家でゲームをやるしかありません。この生活に飽きています。

中国の大学の建築学科を卒業して、来日しました。

大学の頃、日本語を独学しました。
昔から、よく日本の漫画、アニメ、ノベル、音楽などが好きで、結構興味を持ってきました。
これも日本語を勉強する理由です。

現在は、アニメも漫画もほぼ見ませんが、まだ日本のことが好きです。
特に理由など存在しなくて、ただ日本に慣れて、この国で生きていきたいと思います。

今までの私の人生は、両親が共働きであったせいか、幼いときから常に周囲からのいじめがありました。
大人になってからも、裏切りにより家族の一人が借金をしたにもかかわらず、最後は、母と私が返済するしかなくなり、仕事をする為だけに生きざるを得ないものでした。

やっと人生の後半で少しは人間らしい時間がもてそうな時に、介護を含めた家族の問題を、自分一人で背負っていく形となりました。

十数年にわたる介護には、いろんな名も伺えなかった方々のその時々のサポートがあり、感謝しかありませんm(_ _)m

趣味は毎週千円だけ使って競馬を1レースだけやること。
これが楽しみです(笑)

この年齢になると、友達がつくりにくいのはわかっています。

でも、人並みにお茶したり、食事したり、ときには一緒に旅行したり、あるいは電話で話せる友達が欲しいというのが本心です。

老後となった我が人生に、普通に暮らせる「言葉」が欲しいと思っています。

地域に関係なく、気が合う方に出会えると嬉しいです。

趣味はと聞かれると「仕事!」と答えてしまうぐらいの仕事人間ですが、コロナ禍が始まったころから2週に1度パンを焼くようになりました。

まだまだシロートの作るパンの域から出ることはないのですが、気が付くと70回ぐらいパンを焼いたようです。

海外で暮らし始めて9年目となりました。

移住の理由は、我が子の英語教育です。
私は、子供を英語と日本語のバイリンガルにしたい気持ちが強く、夫を説得して移住を強行しました。

移住当時、5歳、3歳、1歳だった子供も、今では一番上が中学2年生になり、学校では英語で授業を受け、家では日本語を話す生活をしています。

昨年夏、それまで全くなんの異常もなかった妻に健康診断で癌が見つかりました。治療に専念し、二人の大切な時間にあてるため、36年続けた自営業を廃業。

抗がん剤を続けましたが、今年1月に予期せぬ妻の急変、治療の甲斐なく、医師、看護師のいない我が家のベッドで、私に抱かれ、息絶え死亡しました。
私の唯一の宝物である妻と長年つづけ、町での信頼もあった仕事の両方を失いました。

空っぽになってしまい自殺を考えましたが、残された妻の忘れがたみの愚息のことをおもい、私の死まで背負わせるわけにはいかず考えなおしました。

家族は小学生の女の子と連れ合いの3名です。
最近、子どもが犬を飼いたいと騒いでいるのですが、なかなか決心がつかないでおります。

犬がだめなら猫が良いとかハムスターが良いとかいうのですが、そういう問題ではなく、どうにも自分が看取る可能性が非常に高い生き物を飼うのは勇気がいるなぁと思っております。

温泉に惹かれます。
登山の後もキャンプの後もひとっ風呂。

でも、基本的にはインドア派。
お金があれば引きこもりたい派です。

独身になり、今まで気にも止めなかったことに気がつくようにもなり、人の悲しみを以前と違い理解するようになりました。
自分のさみしさを埋めるためにパートナーを求めることは間違いだと思うようになりました。

パートナーをさがすために、SNSを利用しました。
しかし、相手にされず、結婚相談所にお願いするも、子どもの反対にあい断念。
結婚しないまでも、友達をさがして日々奔走中です。

考え方

幼少期の頃、母親を目の前で失い、親戚宅などをたらい回しの厄介者扱いされながら過ごしました。

数年後には、大阪の本家でもある祖父母に引き取られたと思いきや、新たな母親ともうまくいかず、父親ともうまくいかず孤立。その頃から解りやすいぐらいのドロップアウト(笑)

先生から『男だったら俺がやらなきゃ誰がやる』、それさえ忘れずにいれば大丈夫だと言われました。
それ以来、その言葉を胸に生きてきました。

昔から、両親からの理解や愛を感じたことがありません。
親しい思いも持っていませんし、会いに行くこともあまり考えたことがありません。

別に私は冷たい人間というわけではないですが、ただ、両親との関係がよくないのは事実です。

それでも、両親と仲良くなることを想像することがあります。

恥ずかしいことを書きました。
よろしくお願いいたします。

(20代男性)私はきっと生涯独身です。友達も彼女もいません。
ちょっと人間関係が苦手です。

人と付き合いたいし、雑談したいし、愛情や友情を欲していますが、どうすればいいかわかりません。

人とつきあいたいけど自信がなくて、何も始まらないのです。

誰の人生も苦しみだらけなものでしょうか、それともわたしだけでしょうか。

最近は情緒不安定の症状があって、自殺まで考えたことがありました。鬱病を患ったんじゃないかと疑うぐらいです。孤独と劣等感のせいかもしれません。

幸い、わたしには信仰があります。孤独を感じて、暗闇に包まれるとき、いつでも「神がわたしを救ってくれて、わたしのそばにいてくれる」と祈って、信じて、何とか乗り越えられたんです。毎日、神に祈っております。

聖書を読んだことがわたしにとって人生で一番価値があることだと思います。
この信仰がわたしの唯一の道標、自分を喪失させない灯りです。

自分を変えたい、変える勇気を持ちたいと思います。
十分に理解してくれる人が欲しいわけではないですが、ちょっとだけ気を紛らわせる友達がいたらいいなと思います。

若さに絶対の価値をおく生き方、若さをを保つことに汲々とするのに違和感があります。

いろいろな方たちの暮らしのありように学びながら、できるだけ無理せず、自然に逆らわず、ゆったりと穏やかに年を重ねていけたら、と願っています。

ありとあらゆる経験をしてきましたが、人は人と関わることでしか生きていけない。

どんな人間も変われる。
それが成長か、堕落かの違いだけで。

こうして僕が生きているのも節目節目で良き人との出会いがあればこそ。
たくさんの人に迷惑もかけたけど、たくさんの人にも救われた。

今度は僕が恩返しをする番。
ボランティア団体でも立ち上げようかと考えていたところに、みんぐるの事務局の方に声をかけていただいたのは、偶然ではなく必然だったのかも知れません。

こんなタイミングあります?

仕事が激務なため、思うように参加出来ないかも知れませんが、みんなで繋がりましょう☆

健康

早朝に起きてジョギングをするのが日課です。

続けるコツは、前夜に着る服を用意しておくことと、目が覚めたら、まだ眠っているような状態でも、外に出ることです。

健康のために始めましたが、疑問を感じたこともありました。
筋肉がつくわけではないし、もともと太っていないのでやせる喜びもなく、苦しいだけと感じたからです。

でも、走ることで足元に程よい衝撃があり、それが 骨粗鬆症の防止になりそうです。

また、最後は息が切れるくらいのスピードで走り、心臓がバクバクするので、それにより血液が回り、血管がきれいになるかもしれません。

気力や体力の衰えは感じますが、できることはまだまだあるような気がします。

集会などで、わたしより年長の方たちをお見かけしては、偉いなあと思ったり、励まされる思いがしたりすると同時に、もう少し若い世代につなげていくにはどうしたらいいのだろうと思ってもいます。

健康法は、糖質カットです(正確にはカットまでしていないので抑制というぐらいですが)。

糖と聞くと甘いものを想像されるかもしれませんが、炭水化物のことです。
炭水化物は、体に入ると糖に変わり、血糖値が上がります。
この急激な変化は体に良くないと言われています。

以前は、普通にご飯をお茶碗に一杯食べていましたが、メニューによっては炭水化物を抜くことが多くなりました。

常に豆腐を買い置きしておいて、ご飯の代わりに冷奴を食べたり、肉や野菜を多めに食べたりして、カロリーは減らさず糖質カットしています。

若いころはいろいろ趣味もあり、スキー、スケート、釣り、カヌー、スキューバダイビング。
中でもスキーはいまだに自信があります。
儚い(はかない)夢ですが、コロナ禍でなくなるなら、ニュージーランドにスキー留学したいと思っております。

6~7年まえからジョギングをするようになりました。
体形がよくなり、血液検査、血圧なども見違えるほどに変化しました。
真夏炎天下でも10km走り、日射病にもなったことはありません。

その他

海外の方と知り合えるかも知れないのは、視野を広げたり色んな感覚を共有出来て、良い経験になりそうです。

高校時代、タバコを吸っていて見つかりました。

退学を申し出たところ、当時の担任の先生から『廃部直前の部がある。その部活をするならこの件は不問にする』と言われ、停学や退学よりはマシかな?と考え廃部寸前の部に入部。

廃部直前だけあって部員は僕1人(笑)
教えてくれる師範も学校外の方のため部活もサボれず、ひたすら稽古の毎日の高校生活。

約束通り卒業まで部活を続けた結果、いつの間にか県代表になるまでに。
その年は日本武道館まで遠征したのに、1回戦負けで、あまりの屈辱。

「来年アイツ倒したら辞める。倒すまで辞めん!」と師範に直訴し、翌年に再び県代表として日本武道館へ。
前回負けた相手を倒したらと思ったら、まさかの日本一というおまけつき(笑)

その後は若手育成に従事し、引退しました。

コロナ前に憶えたカラオケも、コロナが一段落したら行きたいです。

憶えたといっても、カラオケに行くことを覚えただけです。

歌は、私が若い時だった当時からながれていたテレビやラジオからの歌謡曲なら、ほとんど歌えると思っています。

男性、女性を問わず、なんでも話せる、気の許せる友達を作りたいとおもって参加しました。

特に趣味という趣味もなく、「草むしり」と「長生き」が趣味ということにしています。

将来の夢は、「Jeepを乗りこなすおばあちゃん」です。
Jeepに乗り降りする体力と、ドライブできる認知能力を維持し、Jeep(新車)を買い、維持する財力を75歳までに持ちたいなと思っています。

ストレングスファインダーをご存知でしょうか。
人の「強みの元=才能」を見つけ出すツールで、Webサイト上で177の質問に答え、34の資質のうち、自分に特に当てはまる5つを見出すものです。

私には内省と着想が強く、まさにその診断通りで、いつも心で一人で会話をし、なにかアイディアが浮かぶのが幸せです。

皆様もぜひ入会し、ご自身のことを紹介しませんか。楽しく交流しましょう。

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